DM刷り上り_091018

091017_3 予定より早くF100一点仕上がる。連夜の格闘の成果。
昨日DMが届く。ほぼ予想通りの出来上がり。これから発送作業もある。
 昨晩からさらにもう一点F100の下絵制作にかかる。
小4の息子が新型インフルエンザを発症。アトリエ隣の子供部屋の様子を時々見ながら作業をする。
 Photoshopで色調と解像度を操作してからIllustratorでの作業。
ペインティングのスケールを考えないと異常に微細な色面ができるので注意が必要である。意味の無い隠れたパスなども掃除して、あらかじめ作ってあるアクションなどを利用してまとめていく作業を続けた。
第1プランができたところで、どうも気持ちひっかかる部分があり没。
結局第3プランまで作る。今日はこれからこのプランをブラッシュアップしてものになるか判断する予定。

 今日は秋晴れ。抜群の気候だが籠って制作。

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平面規模_091015

 ずいぶんと秋らしくなって来て、いいシーズンがようやくやってきた実感のする今日この頃。

 11月の展覧会準備、F100号一点、かなりのスピードで進めていてこん週末にも仕上がりそうな予想である。全体的な進行としては大幅に遅れていたので、この100号にめどが立てば、また今後の展開が予定通りの状態に回復できるかもしれない。
 平面の規模を厳密に、テーブル上のドローイングサイズ、100号まで上限のキャンバスペインティングサイズ、100号以上のウォールペインティングサイズと、平面の大きさに準じて絵画構造を考えて作っていった。以前からこれはわかっていたことだけれど、なかなか実行できなかったことを今年は積極的に意識してみた。
そうすることによって、それぞれのサイズでも、一定のクオリティをコントロールできることが見えて来た。自分だけの展覧会で複数点数の作品を同時に展示する際このコントロールは重要である。

 案外、平面作家にとってこのことをしっかり意識できるかどうかで作品のクオリティが変わる気がする。
だからドローイングの延長を大画面で勝負しても、奇異なデザインワーク以上のものは成立しないのではないだろうか。そういった作品は「うけ」はするけれども、例えば3年後に眺めたときには凡庸な作品になっている気がするのだ。

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ようやく...

 今朝は久しぶりに涼しい朝。やっと秋がきたのかな?

 F8号2点M3号1点の並行してつくっている作品は今月中にものになるか。
F100横2枚組はベースまで完了。...ただ市販ロールキャンバスのコンディションがもう一つで下地をしっかりしなかったという後悔を10分おきに感じる。麻55%,綿45%の軽めの生地で、発色は充分だが描画面のフラットなクオリティを維持するためには、倍の時間がかかる。
自作の基底材のありがたさを痛感することに...。
使用中のキャンバスのストロークの制限速度が45km/h。F6で使用している自作のキャンバスは95km/h...という感じか。
 基底材もそうだが、ブラシも今年はシビアな感じ。合成のブラシは腰があるが、予想以上の摩耗とばらけ方が激しい。天然ものはばらけない。

 今週中にDMの原稿を作らないと...。

070925 <今日聴いたCD>
「The Eraser / Thom Yorke」

Radioheadの中心人物トム・ヨークのソロ。なかなか見直した...。Radioheadはグランジなギターバンドだと昔は思っていたけれど、近年はなかなか深いようだ。
誤解していたかも...。
 それにしてもこのバンドを聴くたび、国立国際美術館での企画『エッセンシャルペインティング』を思い出すのはなぜだろう...。







 
 
 
 

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かたちのむこうへ

 エアコン無しでは過ごせない、なかなか蒸し暑い夜が続いている。
 たまらなくなって、10時に散髪に行く。同い年の店主と今度出るEaglesの新譜のことなど話す。

 先週、思い切って再制作しているF100号もかなりのスピードで進んでいる。
今年は自分で撮影した画像をもとに、描いている。とはいえ、徹底した現実模写とは違う方向である。
ツールは日頃使い慣れている、コンピュータと油彩である。
使っている絵具はどこの絵具ですかときかれたら、「Adobe」と「Holbein」と「W&N」と「Apple」かな...。
けれども、これが、超アナログな仕上がり...。
 プレスリリース用の原稿もそろそろ作らないと。

070908 <今日聴いたCD>
「Stella Maris / Trio Mediaeval」

朝から仕事をしていたので...。
気持ちの底を静めるために...
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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「アウラ」の泉

 厳しい残暑というか猛暑が続く日々であるが、今日ツクツクボウシが聞こえた。
 『複製技術時代の芸術 / Walter Benjamin』を再読した。学生の頃にかりて読んで以来...「アウラ」論が気になったので。
 彼は複製技術として映画・写真を上げているが、単純に「アウラ」があるのはオリジナルのみという論ではない。また、アウラ至上主義を語ってはいない。
 戦後の大きな芸術の変革を経験し、デジタルデータが身近に多く存在している現在では、アウラは純度をむしろ上げている気がする。オリジナルなもの、イコール「アウラ」ありではなく、むしろその質に負うところが大きい。当然といえば当然なのだが。また、絵画における一回性イコール「アウラ」といったステレオタイプの議論は不毛であるし、逆に複製「可能」にもアウラは存在する。そういう広がりを「アウラ」という言葉から感じることができる。
 少々論点がずれるかも知れないが、現在においてベンヤミンの言う「歴史をバックボーンに持つこと<アウラ」というポイントをたどってゆけば、「時間と距離」がアウラを補強しているのである。だから、複製芸術の中にアウラを感じ取ることが出来るということは、「時間・距離」を鑑賞者が深く遡行できるということなのだろう。その道がどれだけ深く、広く開かれているかがキーとなるのだろう。その豊かさが作品の質であり「アウラ」なのだろう。

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備忘録070501

 今日はいつもの職場から出張して小規模の会議だった。終わったのが6時過ぎ。帰宅したのは8時だった。
連休とはいえ、暦通りのお仕事状態である。
今日は一日雨だった。帰宅するころには少し肌寒い気温だった。風が強かったせいか体感温度も低かった。

 昨日洗っておいたはずのブラシが少し硬くなっていたので洗い直した。油彩も樹脂をけっこう入れたりしているのでもっと丁寧に洗わなければならないのかな。
洗浄液は文房堂のアプト液を使っているけれど、石油系の方がいいのかなとふと思ったりした。

 画面については「質感やディテイル」と「全体のにおい」、それらから振動するように想起してくる「風景」のことを考えたりしている。
この「風景」は形があるようでないようで、けれどもしっかりと胸の奥からしみ出てくる「風景」である。最近、描くことで表出するものが「風景」という言葉に置き換えるとストンと腑に落ちるのだ。言い換えれば、わたしの底に確かに存在する、あるいは存在したはずのものを表現したいといつも思っているわけでそれがこの「風景」なのだろう。「風景」は個々の再生可能な断片であることもあるし、突拍子もないイリュージョンであったりする。
 元来、狭義の具体的モチーフとしての風景にしても、単に主体と客体といった二律背反しては扱われてはきていないはずである。絵画表現に限らず、外と自分自身の身体を峻別する境界は、たとえ肉体的な制限、物質的な制限においてもないといえる。私自身が外であろうし、外も私自身の一部なのである。それはミクロコスモスとしての細胞や肉体といった科学的な実証を大きく越えて、私と外とはゆるやかに溶け合って振動しているからなのだろう。
 「風景」を描く理由は、それが外と内が振動する思考主体としての自分の存在証明に代わると考えるからであり、可能な限りていねいに、慈しみ、すくい取るようにそれらを敷衍していきたいと思う。だから私にとって絵画を描くことは、「風景」を記憶の底からたぐり寄せあるいは押したり引いたりやりとりする作業になり、言語表現に寄り添う漸近線のようにありつづけるのだろう。
 発表される「作品」は、私の底の風景と、自分自身を含む現在とのやり取りの所作の痕跡を残し続けることになろうし、「作品」が少なくとも私の生き方の提示になり、有効な手段となりうる。         (2007.5.7改)

070501 <今日聴いたCD>
「The Sinking Of The Titanic / Gavin Bryars」

ギャビン・ブライヤーズ。現代音楽。タイタニック号が沈んでいくときに演奏されていた曲をモチーフに展開。独特の冷たさと美しさの対比。ヘッドフォンを買い変えてから(SONY-MDR-EX85)ものすごく細かな効果音が入っていることに気づいた。気がきしむ音。遠くに聞こえるラジオのような声。水滴の音。
死とそこから照射される今の自分の姿。かつて宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で提示した命のことがイメージされる



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急に秋

急に秋が深まってきた感じの週末。気温が低いせいか油彩の乾燥もやや緩やかな感じ。

来月の展覧会で、今年も小品にフレームをつけることにするので材木を買いに行った。
作品のコンセプトの柱として、画面の空間と外の空間との呼吸が ある。これについては、小画面ではフレームをつけることにより、その呼吸が楽になるような気がするのである。大画面ではフレームは必要ないが、F20あた りより小さくなってくるとフレームが必要な気がする。昨年から小画面には自作のフレームを付けた状態で壁面に展示している。
木材は昨年よりやや幅が小さい白木を使うことにし、構造は昨年度どおり箱状にして作品を少し浮かせる形。
塗装はホワイトのつや消しだが、汚れを少しでも軽減するために、水性マットニスも用意してみた。

さて今晩はこれから、マイター鋸で材料切断のアルチザンと化す夜更けである...。
深夜に鋸を引く(洋鋸なので押さないと切れないが)音は怪しく犯罪の匂いがするのであるが...。

051023 ■これから聴くCD 「CHOPIN:Nocturnes/Ashkenazy」LONDON(FOOL-230033)
アシュケナージのノクターン。じっくりと秋を感じるために聴こうかな...と。このCD、Amazonでは見つけられなかったのでリンク設定は無し。ジャケットがかわったのか廃盤になったのか。そんなことないと思うが。
それにしても、「夜想曲」って誰が邦訳したのだろう。なんとも深い響きの言葉だとおもうなぁ...。

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秋の空気と

 「読取りから可能な限り距離を置きながら描いていく。 けれどもそれをこえて、逃れないイリュージョンが生成する。それらとどこで落ち合うかあるいは逃げようとするか...。」  タイガースがリーグ優勝したからではないが、最近はわが家のMacminiも、職場の小部屋にあるOldなiMacDVもMacOS10.4=Tigerが走っていたのだった。 朝晩の空気ははっきりと秋を感じさせてくれるようになった。  午後から現代美術作家の安藤さんと稲垣さんと会い、小一時間ほどお話させてもらった。今日は、お互いビジネス上の用件だったが、昨今の現代美術の現状、アジアンパワーの有り様、最近のSONYは...などやや脱線した話が楽しかった。  DM用のアドレスラベルを苦労して作った。苦労というのは住所録のデータベースをAppleworksからFilemakerPro7にデータを移行するのにあれこれ...。CSVでいろいろと操作する。 「できた!」と思ったら自宅のインクジェットプリンタはインキ切れ。...明日は、休日出勤なので帰りにでも買ってこよう。  最近知ったのだが、グリーンバーグの評論の邦訳が今年の5月あたりに一冊にまとまって出版されていた。『グリーンバーグ批評選集/C.グリーンバーグ (著),訳:藤枝 晃雄, 上田 高弘』だ。 数年前、『モダニズムのハードコア』という題名で数編の邦訳が(ロザリンド・クラウスの邦訳と共に)出ていたのは持っていたのだが、待ち望んだ一冊という感じである。これだけ現代美術、絵画に大きな影を落としているグリーンバーグだけに邦訳出版はかなり遅いぞ...、と言う感じが...。訳者の藤枝晃雄さんは、私としては一貫した批評活動には敬服している方です。今日遅まきながらAmazonポチッと致しました。

050930 ■今日聴いたCD「 In Concert/Chick Corea and Gary Burton」('79)ECM
pianoのチック・コリアとビブラフォンのゲイリー・バートンのデュオ。チューリッヒでのLive録音。一曲目から飛ばしてくれる26年前の10月28日の録音。クリスタル・サイレンスはタイトルどおりの透明感のあるゆっくりとしたビブラフォンの響きがある。この曲についてはスタジオ録音よりもこのLive録音のほうがシンプルで曲本来の美しさがよく表現されていると思う。 ジャケットの夜景(夕刻?)がとても美しいのです...。そして手前のビルには「カンパリ社」のロゴが逆光で見えます。

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DM完成

 台風が側を通り抜けたので、半袖では少し肌寒い感じ。
050925_3 展覧会のDMが上ってきた。 スローテンポではあるが作品制作は続いている。 F150の作品のボディは見えてきた。テンペラでおおまかなパートを固めていく。 油彩のグラッシで深さを作っていく。考えてみればとても古典的な絵画のプロセスである。 モチーフのない抽象画であるが、キャンバスに絵具を置くだけで作者の意図を越えてイメージが現れるわけで、重ねていけば空間も現れてくる。それらを手がかりにさらに塗ることを繰り返していく。 現れかけたイメージを壊しさらに塗り重ねる。 予定調和の絵画ではなく破綻とまとまりの繰り返し。

050925_2 ■今日聴いたCD1「COIEDA/高木正勝」
 京都のアーチスト。映像も手がける。一曲だけデヴィット・シルビアンが歌っている。DVDも見たが映像はやや単調な気がした。音のみ聴いているほうが広がりを感じる。アコースティックな楽器の使い方が上手いと思った。



050925 ■今日聴いたCD2「Sea Change/Beck」

 「COIEDA」と近いテイストというのは強引だろうか。どちらの作品も一歩引いて作っている気がする。Beckの場合はなんでもありだけれども、ことこの作品については音づくりのコンセプトがストレートでなじみやすい。しかし、彼の音楽は例えば、ゲルハルト・リヒターの絵画のように各作品間のコンテキストが問題になる気がする。このCDに収められている「Guess I'm Doing Fine」や「Nothion I Haven't Seen」とても美しい作品であるが、これら作品だけでは語りきれない魅力がBeckにはある。

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